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鞍馬口にある「あとりえミノムシ」の人形劇に、なぜか大人たちが夢中らしい

「ポmagazine」編集部
「ポmagazine」編集部

噂の広まり

井戸端会議

この記事の内容

・人形に魅せられ、人生を変えられた

・人形劇だからできる踏み込んだ表現

・75歳。世界の刺激を受け、新たな野望へ

・離れがたい人形劇の魔力は次世代にも

人形に魅せられ、人生を変えられた

京都・鞍馬口の住宅街にたたずむ小さなログハウス。扉をあけると、所狭しとつり下げられた人形たちの姿に圧倒される。ここは「糸あやつり人形劇団 みのむし」のアトリエであり、人形劇やミニパフォーマンスシアターを上演する“人形劇場”でもある。

この「糸あやつり人形劇団 みのむし」を主催するのが、飯室康一さんだ。

飯室康一(いいむろ・こういち)さん

日本独自の伝統芸能・糸操りを継承する「竹田人形座(東京都指定無形文化財)」にて操演と人形製作を学ぶ。のちに独立、1975年「糸あやつり人形劇団 みのむし」を旗揚げ。『ママと遊ぼう!ピンポンパン』『たのしいきょうしつ』『グルグルパックン』などのTV番組制作に関わりながら、全国各地での出張公演を行う。第一回富山村人形劇祭グランプリ受賞、いなさ人形劇まつり第一回日本人形劇大賞金賞受賞など、日本の糸あやつりを代表するひとり。現在は京都に拠点を移し、「あとりえミノムシ」にて、月一回のパフォーマンスを企画。


「みのむし」のメンバーは全部で3人。右から飯室康一さん、妻の飯室牧子さん、(一人おいて)弟子の阪東亜矢子さん

みのむしの人形劇を見た人たちはこんな感想を口にする。

「人形劇に対するイメージが大きく変わった」

「大人が夢中になって毎月通ってしまう」

「飯室さんとアトリエの存在そのものが、物語の一部のよう」

この道ひとすじの75歳。聞けば、人形劇にのめり込むきっかけは、なんともドラマチックなものだった。

飯室さん「高校3年生の夏休みにね、テレビで『ある人生』というドキュメンタリーをたまたま見たんですよ。東京の竹田人形座に所属する、竹田喜之助さんの半生を描いたものでした。天才人形作家と名高い喜之助さんがつくる、技巧を凝らした人形のあまりの美しさに、ギュッと心臓をつかまれてしまってね。いてもたってもいられなくなって、冬休みに『大学の下見に行ってくる』と親に嘘をついて東京へ。そそっかしいというか、思い込みが激しいところがあるんです(笑)。座り込んででも弟子にしてもらおうという意気込みで、喜之助さんや座長さんと話をしたらあっさり『いいよ』って。卒業したら入門させてもらえるとの許可をいただきました。そして卒業式のあくる日に、また親には『大学受験にいってくる』と言って、東京へ」

心が思うまま、衝動的に。「人形に魅せられ、人生を変えられた」と語る飯室さん。

飯室さん「喜之助さんのからくりの技術は本当に見事でしたね。聞けば、東大の航空学科出身。卒業間近のころに、それまでの学歴も約束された将来もすべて捨てて、糸操り人形の世界に飛び込んだそうです。人形劇にはそういう、人をとりこにする力があるんですよ」


飯室さんは、喜之助さんの人柄を「すばらしい人でした」と振り返る。「みんなと一緒に掃除したり、キャッチボールや洗いものをしたり。すごくやさしい人でした」

飯室さんの妻であり、みのむしをともに立ち上げた、牧子さんも、竹田人形座で衣装製作を担当していた。

牧子さん「子どもの頃、NHKで放映されていた人形劇『宇宙船シリカ』や『銀河少年隊』などを観たことがきっかけで、人形の美術や操作に魅かれていきました。その人形製作や操作を担当していたのが喜之助さんたちだったんです。当時は6畳くらいの狭い部屋で、6、7人が肩を寄せ合って人形製作をしていたと聞いています」


喜之助さんの功績をたたえ、昭和63年から毎年、瀬戸内で開催されている「喜之助人形劇フェスタ」。こちらのパンフレットには『宇宙船シリカ』の人形が大きく写っている

人形劇だからできる踏み込んだ表現

現在、みのむしは、毎月行われるアトリエでの定期公演に加え、幼稚園や保育園などの施設や、全国各地の人形劇フェスティバルへ出張公演なども行なっている。

そんななか、完全オリジナル脚本の新作を今なお作り続けているというから驚きだ。人形一体をつくるのにおよそ一カ月、一作品につき新しい人形を6〜7体はつくるという。脚本や演出、練習期間も含めると、完成するまでに一年はかかるそうだ。

飯室さん「すべて自分でやるのでどうしても時間はかかってしまう。大変だけど、作らないといけないんじゃなくて、作りたいから作っているんですよ。なにもないところから全部自分で作り出せるって、すごいでしょう? 木を削っているあいだは『どんな子ができるかな』という楽しみがありますし、糸をつけてから動かす段になると、『どういう演技をしたらおもしろがってくれるだろう』という喜びがあるんです。人形劇の醍醐味ですね」

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正直なところ、「人形劇は子どものもの」と思っていたが、飯室さんの作品はそのイメージを覆す。事実、みのむしに訪れるお客さんの7割が大人だという。飯室さん夫婦とともに劇団みのむしを支える、弟子の阪東さんは、飯室さんのすごさを以下のように語る。

阪東さん 「飯室さんは、とにかく創造への情熱がすごいんです。まずは自分のやりたいものをつくる。ときには作ったんだけれどもすぐにお蔵入りにすることもあるぐらい、創作への労力をまったくいとわない。それに、人形劇ってともすれば道徳的な、人情もののストーリーにしがちなんですが、飯室さんの頭にはそのようなセオリーがまったくない。固定観念に縛られず、ときには戦争や犯罪、性的な表現などのきわどい内容も見事に取り入れる。人形劇にタブーなし、自由にやって良いのだという思い切りの良さは、自分で物語を考えるときにも影響を受けています」

飯室さん「人形劇は、人間がやると生々しくて、えげつなくてだめかもしれないということもできてしまう。コミカルになるんです。それに、人形がやっている分、観る人の想像力によってどこまでも広げることができる、器の大きさがあります。子どもに楽しんでもらえる作品のなかにも、大人だけに実はわかるという隠し味も残すようにしていますね」

3月の定期公演で上演された「夢見るコッケちゃん」にも、クスッと笑えるシーンがあった。

ニューヨーク行きの野望をかなえようとするにわとり、コッケちゃんが、あるシーンで目隠しをする。そこでお客の子どもたちから、なにかものをもってきてもらって、それがなんなのかをコッケちゃんが当てる。もちろん、いとも簡単に全部を答えられる訳は、大人ならすぐにわかる。

牧子さん「どうして当てられると思う?って聞くと、子どもたちはうーんと、真剣に考えて「臭いでわかったんだ」「目隠しが透けてみえているんじゃないか」なんて言い出すんです。大人はその様子を見ておもしろがってくれる。そうやって、大人も子どもも楽しめるようにしているんです」

飯室さんの作品のなかには、さらに文字に起こすには生々しいストーリー展開や、皮肉や毒っけのある大人向けの笑いが仕込まれたものも。それなのに親子で抵抗なく楽しめてしまうのが、人形劇の不思議な魔力だ。

牧子さん「彼はへそまがり(笑)。子ども向けにありがちなしつけの一環としてのお話は考えない人なんですよ。子どもを楽しませながらも、自分がやりたいことは絶対曲げない。でも、そういうところを好んでくださる大人の方が、けっこうたくさんいてくれるから、本当にありがたいですよね」

飯室さん「日本では戦後教育のなかで人形劇が有効だとされて、保育の一環として使われてきた歴史がある。それもあって子どものものというイメージが強いみたいです。もちろん子どもたちが喜んでるのはとってもうれしいんですが、子どもだけのものだというイメージは打ち破りたいんです。古くは浄瑠璃など、大人が楽しむ演劇の一種だったわけだし、動く立体作品という意味では、アートの素養もあるものなので」

牧子さん「もっと大きく評価されてもいいのにねって、こっそり言ってるんですよ(笑)」

75歳。世界の刺激を受け、新たな野望へ

昨年にはチェコ・ピルゼン市で行われた人形劇フェスティバルに招へいされ、参加。全編チェコ語のセリフで上演し、好評を博した。現地での熱気は、すごいものだったそうだ。

チェコに限らず、人形劇フェスティバルは世界各地で開催されている。フランスで行われる国際人形劇祭「シャルルビル・メジェール」もそのひとつ。街全体が人形劇の劇場になる様子が忘れられないと飯室さんは語る。

飯室さん「大きな広場の各所で、人形劇が繰り広げられる様子は、日本ではみたことのない活気があってね。エネルギーをもらいましたよ。巨大なクレーンでつるされた大きな人形が登場したり、いろんな人形であふれかえっていて」

牧子さん「中に人が入っていて、街を練り歩くようなものもありました。たとえばこんなふうに、ハーメルンの笛吹きが現れて、その後ろを本当に子どもたちがついていくんです。その状況がまさに『ハーメルンの笛吹き』の再現になっていて。ワクワクするでしょう?」

世界では人形劇を演劇のジャンルのひとつと捉えている国も多い。チェコでは人形劇を国の文化として継承しており、人形を専門に学べる国立大学機関や、各都市に人形劇専門の劇場がある。

飯室さん「日本でも人形フェスはあるけれど、もっと海外からいろんな劇団を呼んで、“あれはなんだ”って、日本人が刺激をもらうようなものが京都でできたら、一大文化として誇れるものになるって思うんですよね」

京都での国際人形劇フェスティバル開催の野望を、飯室さんは抱いている。

牧子さん「京都を人形劇の街に!って、今はコネも資金もないんですけど……。でも本当に、ヨーロッパで見た景色を、京都の人にも見てもらいたいという気持ちはありますね」

飯室さん「自分で新聞を作って呼びかけたりはしてるんですけどもね。海外でも公的な助成金はどこも少ないみたいだけれど、アメリカなんかは私設の財団からの寄付で運営しているらしいんですよ。なので京都でもどこか企業さんが一念発起して、考えてくれたらいいのになとかね。 ワコールさんとか、どうかな(笑)」

離れがたい人形劇の魔力は次世代にも

スタッフの阪東さんもまた、25歳のときに、初めてみた飯室さんの人形劇がきっかけでこの世界にのめり込んだ人のひとりだ。

阪東さん「生まれてからずっと北海道に住んでいて。福祉の仕事を辞めて、この先どうしていこうかと迷ってる時期でした。そこで、たまたまみた人形劇のチラシに“大人向け、抱腹絶倒”って書いてあって。人形劇?大人向け?と気になって観てみたら、まさに抱腹絶倒しちゃったんですよね。その公演の時にちょうど、香川県に人形劇の学校を飯室さんたちがつくるという話を聞いて、即、受験しよう!と」


阪東さんが衝撃を受けたという作品『ニューそぼくだにヘルスセンター

喜之助さん、飯室さん、阪東さん。ひょんなことから人形劇のとりこになったひとたちが数珠つなぎで、創作の炎を広げていく。

阪東さんは現在、みのむしのスタッフを務めながら、自身も「JIJO(ジージョ)」という人形劇団を主宰している。「みのむし」を継いでほしいとは思わないのか。聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

飯室さん「技術は継いでほしいけれども、みのむしを継いでほしいとは思っていないんですよ。それより阪東さんならではのものを作っていってほしい」

阪東さん「そもそも飯室さんがやってるものを、同じように受け継いでやっていくということはなかなか難しくて。私がまねしようとしても違うものになってしまうんです。飯室さんしか出せないオリジナリティがあるからこそ、熱いファンがつくんでしょうね」

三者三様のあり方で人形劇に人生をささげる飯室さん、牧子さん、阪東さん。最後、それぞれが思う人形劇の魅力をお聞きした。

阪東さん 「みのむしの作品を初めて観たあと、人形たちの世界が、人形劇が終わってからもどこかでずっと続いているような気がしたんです。人が演じている作品とは違う没入感がたしかにある。枠組みの中の世界だからこそ生まれる、人形劇のすごく重要な要素だと思っています」

牧子さん「飯室がひとりで演じて、私はあかりと音だけ担当している作品があるのですが、横で何回も見てるはずなのに、夢中になってしまって音出しを忘れちゃう時があるんです(笑)。子どもたちもそう。人形師が動かしていると理解しているようなのに、子どもから『あんたが付いてて何してんねん、しっかりしいや!』みたいに叱らたりして(笑)。現実的にわかってる部分とお芝居に入り込んでしまっている部分が混在している。そういう反応がおもしろくてたまらないですよね」

飯室さん「テレビのような一方通行なものとは違って、生のお芝居を観るというのは、観客の反応があることがなによりおもしろいんですよ。肩を寄せ合ってみんなで人形劇を観ていると、まるで会場全体がひとつになるような空気感があるんです。おとなも子どもも我を忘れて、目を輝かせる、そんなひとときを共有する喜びを生み出し続けたいです」


人形が糸でつるされる様子から名付けたという「あとりえミノムシ」。ところが牧子さんいわく、飯室さんは大の虫嫌いなのだそう。「この人、家に虫が出るたびに大騒ぎしているんですよ(笑)」

★「あとりえミノムシ」での公演情報はこちら


上演会は基本的に月に一回。劇場を構えてから今まで、料金は変えずにやってきた。「家族で毎月、気楽に通えるよう、当初から同じ値段でやっているんです」

 

企画編集:光川貴浩、河井冬穂、早志祐美(合同会社バンクトゥ)
テキスト(敬称略):平田由布子
写真(敬称略):劇団みのむし

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