0

全京都が閉店に涙した「Doji」と「efish」オーナー対談。上質なカフェの秘訣は愛にあるらしい

全京都が閉店に涙した「Doji」と「efish」オーナー対談。上質なカフェの秘訣は愛にあるらしい

「ポmagazine」編集部
「ポmagazine」編集部

噂の広まり

殿堂入り

「このカフェを知らずして、京都のカフェを語るなかれ」。閉店から10年たった今でも、カフェ好きのあいだでそう語られるほどに、唯一無二の存在感を放っていた名店「cafe Doji(以下、Doji)」。

Doji

雑誌『オリーブ』1998年9月号の特集「決定!’98年オリーブ・カフェ・グランプリ」で全国1位に選ばれた、カフェブームの牽引者とも言える伝説の店である。

オリーブ
オリーブ
カフェブームの象徴とも言える、雑誌『オリーブ』のカフェ・グランプリで1998年の1位となったDoji。

そしてもうひとつ、京都におけるデザイナーズカフェの立役者ともいわれた店が、2019年に惜しまれつつも閉店を迎えた。その名は「efish」。

efish

Appleのインダストリアルデザイナーとして数々の商品を担当したことでも知られる、西堀さんが主宰するカフェだ。その洗練された空間、鴨川を眺められる最高のロケーション、充実したメニューが多くの人に愛されてきた。

efish
efish

伝説とも呼べるカフェがなくなった今、京都のみんなが口々に噂をしている。

「これから京都の街の上質な空間は、どこにいくのだろうか」。

その答えを探るべく、「Doji」オーナーの宮野堂治郎さん、「efish」オーナーの西堀晋さんによるスペシャルな対談が実現した。

宮野さん
宮野堂治郎さん
西堀さん
写真右が西堀晋さん。カフェを中心になって運営していた妻のつかささんと。

なぜあのカフェを作り、なぜ閉店したのか。そして今どのような心境で、変わりゆく京都の街を見ているのか。店作りに真に情熱を注いできたふたりだからこそ話せる、数々の金言をあますことなくお伝えしたい。

Doji 宮野さん
「日本で見たことのないような空間に、みんなをいざないたかった」

― さっそくですがよろしくお願いします。

西堀さん:実はDojiさんにお邪魔したことはもう何度もあるのですが、こうしてご挨拶するのは初めてで。

宮野さん:そうですよね。僕もefishさんはよく存じ上げているのですが、こうして面と向かってお話することはなかったと記憶しています。

西堀さん:まさか、こんなふうにお話できる日が来るとは!今日はとてもうれしいです。

宮野さん:こちらこそお聞きしてみたいことがたくさんありますよ。よろしくお願いします。

― では、まずはおふたりがカフェをはじめた経緯について教えてください。1977年にオープンされたDojiさんからお願いします。

宮野さん:当時、京都の街はなにか物足りなかった。僕からみると「すごい街だけど、意外に新しいことが良い形で出来上がっていないな」という印象でした。そこで偶然ご縁のあった北山の土地で、自分の世界を表現してみたいと、カフェをはじめました。昔から日本にも「カフェー」と呼ばれるものはありましたが、今のカフェとは全然形態の違うものでね。僕は日本にはないものをやってみたかった。当時のヨーロッパのカフェには、ギャルソンやウェイターが客を取り込んで、一体となっていくような空間がありました。そのような雰囲気を意識していましたね。

― あの場所を選ばれた理由は?

宮野さん:あそこは妻の家族の持ちものだったので。いろいろ場所は探していて、当初はアウトビューを取り入れられる場所なんかも候補にありました。結局は実現が難しく、中庭のある店にしたんですが。今でこそグリーンというのは、カフェのインテリアのなかで重要な要素ともいうべき立ち位置ですよね。それまで日本で見たことのないような空間にみんなをいざなえればな、と思ってましたね。

Doji
オープン時のDojiを写した一枚

― 当時の北山はどのような場所だったんですか?

宮野さん:私たちが開業する少し前から、北山は若者の憧れの場所になっていましたよ。「オーク」などのおしゃれなカフェや「キャピタル東洋亭」、そしてこれはDojiの開店後ですが、「ビームス」の店舗が出来たりと、東京で言うところの原宿みたいな地域として北山は有名になっていった時代でした。ただ僕らの店は北山のメインの場所からは外れていたんです。昔、近くの宝ヶ池は暴走族のサーキットになっていましたし(笑)。でも、当時の北区はどんどんおもしろくなっていってるエリアでしたね。

― 創業当初からファンが多かったと聞きます。

宮野さん:最初からうまくみなさんに来ていただいて。僕らはただ、なんとなく自分たちの我を通していたらやっていけたという感覚です。贅沢な運営ができたかなと。結果的に現在のカフェの原点になるようなあり方を追求できたと思っています。

Doji

efish 西堀さん
「貯金と国民金融公庫で借りた500万ですべてを。時間と夢だけはありました」

― 西堀さんは1999年にefishをつくられましたね。

西堀さん:実は、カフェをはじめるつもりであそこの場所を決めたわけではなくて。以前、私はパナソニックでデザイナーをしていました。既存の電気製品のデザインが嫌いで、だからこそ、それを作ろうと思って入社したものの、耐えられなくなってしまって。デザイナーをやめてプータローになろうと(笑)。

で、当時付き合っていた彼女とふたりで一緒に住む家を探そうと、好きそうな窓の形や立地の物件はないか、京都中をみて回りました。外から見て良さそうだなと思う物件があったら、そこの電気メーターをみて、空き家かどうか確認して(笑)。それで100軒以上声をかけたなかで、3軒ほど貸してもらえそうなところが出てきました。

― ものすごいこだわりを感じます!理想的な物件のひとつだったんですね。

西堀さん:ただ良い面ばかりでもなくて。鴨川沿いの物件を借りられるのは魅力だったんですが、当時あそこは20年近く誰も住んでいないビルで。電気・ガス・水道は全部使えず、ネズミの死骸やフンと、浮浪者の住んでいた形跡しかないようなビルだったんですよ。そもそも五条楽園は当時そういう地域で。だから正直「こんな場所に住むのか……」という抵抗感もありつつ、自由に作り直してもよいことを条件に借りはじめたんです。

― ご自宅のはずがどうしてカフェに?

西堀さん:最初から丸ごとビルを貸してくれたわけではなくて。ビルの2階全部と、1階と3階の半分ずつを、家賃10万で貸してもらったんです。その代わり、電気・ガス・水道も自分たちで工事をしないといけないし、天井や床、壁、全部を貼り直さないといけませんでした。

efish
オープン時のefish

― まさに今でいうDIYでできた空間なんですね。

西堀さん:会社を辞めていたので、時間と夢だけはありました(笑)。ひたすら「鴨川沿いでこんな家に住みたい!」という熱意で。そうこうしているうちに、大家さんが1階の半分をほかの人に貸したいと言う話が出てきました。「じゃあ建物全部借りたらどうなりますか」と提案したら、「家賃を12万5000円にするならOK」と。でもプータローの僕にはその増額が苦しかった。なにかお金を入れる手段を考えなければと思った時に、初めてカフェをするという選択肢が現れました。なので、オープン当日にビールジョッキのビアサーバーを初めて触った!というぐらい、まったく知識がないところからスタートしたんです(笑)。

― 資金もないなかでのオープンだったのですね。

西堀さん:わずかな退職金と貯金。そして国民金融公庫から借り入れた総額500万円ですべてを作るぞと(笑)。当時は鴨川方面は壁になっていたんですが、壊れて構造体が見えているような状態で、ここに大きな窓が作れるなというのが見えていました。1階は大工さんにお願いしましたが、それ以外は自分たちで作っています。本当に時間だけはありましたね。友人たちにも「五条楽園にそんなもの作って大丈夫か」と心配されてました。

efish

西堀さん:当初、店名を「efish」にするか「喫茶 楽園」にするか迷ったんですよ。ただ最終的にこの土地には「楽園」という名前がはまりすぎるかもしれないと思って、「efish」に。あのあたりが色街の空気を色濃く残していたころ、建物の玄関先に金魚を買っているお茶屋があったんです。ある日、焼き鳥屋で隣に座った人が話してくれて。「あれはね、昔、赤い肌襦袢を着た女の子が座ってた姿を金魚にみたてたことに由来するんやで」と。これ自体は美化できる話ではありませんが、この街の辿ってきた歴史を表すエピソードだとも感じたんです。そこで「“五”条の魚」を表そうということで、“fish”にABCDEの五番目“e”をつけて“e”fishと。魚のマークだけでカフェともなんとも書いてなかったので、皆さんはじめは、魚屋さんができたとおもっていたみたいです(笑)

efish
efish

西堀さん:最初はなんせお金をかけられない。だからデザインを持ってして、ハリボテに見せないためにどのような表現ができるかというところだけでした。古材バンクでお手伝いをして板材をもらってきて階段に貼ったりとか、そんなのばっかり。だからスタート時のお店は今見ても笑えます(笑)。

― 今でこそ、すごく長いカフェブームのなかで、DIYは重要なワードになっていますよね。

宮野さん:僕らも800万ぐらいであの場所を作ったんですよ。内装もそんなに良いものは使えなくて、やっぱりみんなが楽しく集える場所を作りたいというのが、僕らの願いで。ただ店をやっていくうちに、どうしても材料とか、ハリボテのような感じに僕が耐えられなくなってきて(笑)。なので徐々に自分たちで変えていったんです。

Doji
オープン時のDoji

宮野さん:僕は実家がお寺で、幼少期から柱の凄さについて身近に感じてきたのもあって、木というものに憧れがありました。そんななかで、たまたまオープンから3~4年後に初めてバリに行った時に、この国にはすごい木材があるよとチーク材を紹介してもらい、取り入れていったんです。

Doji

宮野さん:お店の最後の方には、今でもあれぐらいの家具が揃えられるような店はほかに見つけられないだろうというほど、在庫がありました。うちの倉庫に眠ってます。実は今、それを利用できる場所がないかなと思っていて。

西堀さん:新しいお店を開かれるんですか?すごく気になります!具体的に場所など決まっているんですか?

宮野さん:今住んでいる付近、琵琶湖のあたりでギャラリーをしたり、コーヒーが飲めるような空間を持ちたいなと。Dojiの後にバリでお店を4~5年して、しばらくは歳を感じていたんだけどもね。最近ちょっと元気になってきて、残りの時間がどれだけあるかも分からないけど、良い空間とお茶を提供できたらなと考えています。

Doji
バリで営業していた「BAli.Doji」

西堀さん:本当ですか!今からすごく楽しみです。

店主の“生活の息づかい”が、カフェの魅力をあらわしていく

― 90年代にカフェブームが巻き起こったと思うのですが、渦中にいて、どのような気持ちで見ていましたか。

宮野さん:ブームはね、働いてもらう人を集めるのにはありがたかった。しかしあのころの日本は「新しいものでないと」「お金をかけないと」という価値が強くってね。我々は当時、開業から時間が経っていたので、ブームってのはありがたいようなありがたくないようなところがあった。

西堀さん:いやいや、そもそもカフェブームを作ったのはDojiさんだと思います(笑)。みんなDojiさんに憧れて、こんなお店がやりたいと思ってカフェを開きはじめたんです。当時、『オリーブ』が全国のカフェグランプリの特集をした時、ランキング1位だったのがDojiさん。雑誌で拝見した時も「絶対行ってみたい!」と、たまらなくゾクゾクしたのを覚えています。それこそ東京だろうが地方だろうが、日本中がみんなDojiさんへ向かっていったんです。僕もそのひとり(笑)。

― 皆さんが憧れるカフェだったんですね。

西堀さん:そうです。当時、僕は東京の大学から89年に京都に引越してきました。Dojiさんにいって、おしゃれな空間にものすごい刺激を受けながら、2匹のアイリッシュセッター、ボノ君とジュニア君がいつもいて、楽しい時間を過ごさせてもらいました。「カフェってこんな空間を味わわせてもらえるんだ」という驚きがありましたね。

Doji

西堀さん:僕がうまれた岐阜では喫茶文化が根付いていて、子どものころから毎日、喫茶店でモーニングを食べるのが日常でした。生活者に密着していた。けれどあくまで食べ物を食べにいくための場所でしかなかった。だから、初めてDojiさんにいった時に、空間のオシャレさはもちろんのこと、生活の息づかいをこんなふうにお客さんに伝えられるのか!という衝撃を感じました。そう、だからカフェブームを作った張本人はDojiさんですよ(笑)。

― お話の様子からも、Dojiがいかに新しい場所であったかという興奮が感じられますね(笑)

西堀さん:新しいというか、普通じゃなかった。「なんだここは!このお店の人と話がしてみたい」と純粋に思うような。もうね、今こうやってZoomでお話している先に見える宮野さんのご自宅の様子にも、僕はもう興味津々ですよ(笑)。「背景に琵琶湖が見えている!琵琶湖が見えるようなご自宅で生活してらっしゃるんだ!」なんて(笑)。今日画面越しにでも、宮野さんの生活の空気をすごく感じられて、非常にうれしいです。

宮野さん:西堀さんは今、ハワイにいらっしゃるんですよね?日本に帰ってきたらぜひ我が家に遊びにきてくださいよ。

西堀さん:本当ですか!ぜひ行かせてください!やった!本当にうれしい!(笑)

― 宮野さんは今、滋賀にお住まいなんですよね。

宮野さん:ここは学生時代からプライベートで使わせてもらっている遊び場のような場所なんです。Dojiを閉めて、バリに住むことを決めた時、もし仕事が上手くいかず日本に帰ってきた場合に、最後の余生が送れる環境を探そうと。

― ご自宅も非常に素敵な空間だとおうかがいしています。宮野さんは当時、自分の価値観を落とし込んだような店づくりについて、どのように自覚し、アクションしていたのでしょうか。

宮野さん:僕たちの場合は、年齢とともに自分の感じるところや生活環境なんかも変化していったので。新しいメニューやインテリアなど、そのつど新しく僕ら夫婦が良いと感じているものを追求して、出来上がっていったという感覚ですね。

Doji

― 店主が自分の生活に対して意識を向けることが、そのカフェの魅力につながるのでしょうか。

宮野さん:だって、自分が楽しくないとね。京都は学ぶべき人がいっぱいいて、感性が磨ける場所だと思いますよ。ただ僕は今、滋賀に来て、5分で山に入れるというこの豊かな自然、充実した湿度の高さに魅了されていて。京都はそれに比べると、気候が乾いているというか。作られたものと自然のものとの差は感じていますね。

― 土地の風土であったり、街の人の気質、その人たちのもつ文化資本というところはありますよね。

西堀さん:そこでいうと、五条楽園という地域の風土はなかなかおもしろいもので。当時は夜になると肌着のおじちゃんおばちゃんが夕涼みに鴨川沿いに出てきてるような下町っぽい場所でした。近くの飲み屋さんから、酔っ払いの「なんでビールいっぱいで3万なんだよ~」という声が響いてきたり(笑)。でもひとつ言えるのは、街は変化するということです。

― 今ではefishさんのあった河原町五条~七条のあたりに、新しい空気を感じる良店が増えていますよね。土地の空気をefishさんが良い意味で作り替えていったように感じます。

西堀さん:北山という街がDojiさんによってガラッとかわったように、五条楽園もefishというカフェがひとつできたことで、「ひとりで五条楽園に足を運んでもよいかな」と思ってもらえたのはあるかと思います。

efish

店はうつり変わっても、“京都の街と人への愛”は受け継がれていく

― カフェを長く運営されているなかで苦労をされたところはありますか。

西堀さん:僕自身の好きなお店って、たとえば料理でも、オーナーシェフのお店が好きなんですよ。オーナーや働く人のお店への愛情が伝わるような店が好きなんです。なので、僕が大切だと思っている「お客さんに愛情を伝えること」を、どうやって働いている子と共有できるか、それが一番気をつかうところでした。

efish

宮野さん:僕も基本的にはオーナーシェフがいるところしか行かないなあ。センスというか個人の能力が最終的にはでてくると思っていて。デザートひとつとっても生まれ持ったセンスによってでしか最終的には戦えないのかなと。優劣をつける気はないけど、僕が好きなのはそういう部分に魅力を感じるお店です。

― お店に影響を与える個人のセンスというのはどのように磨いていくものだと思いますか?

宮野さん:よく「経験を積みなさい」とかいうけれど、それってつまり、いろんなことを見た上で、いかに自分のものにするか、その選択をし続けることだと思いますね。話題になっている場所にはまずは顔を出して、何が魅力なのか学びとるということは大事だと思う。自分の選択の精度を上げるために。

宮野さん:僕自身、全身全霊、自分で店を良くしていくことを常に考えていました。僕は成長しているという証を、店のインテリアから、店の素材から、店の料理や飲み物から、感じ取ってもらおうと思っていた。コーヒーも、ずっと付き合いのあるところから離れて変えたこともありました。時代に合わせたものを先取りできるかというところを考えぬいて、作り上げてきたんです。

西堀さん:まわりの友達、住んでいる場所、子どもの時の経験などが人格を作り、センスをつくると思っています。ただ、良いと感じることやものを機敏に実践して取り入れないと自分のものにはならないし、それって最終的には好きなことに対してしかできないもので。お客さんに愛を伝えるためには、好きなものに触れて形成された自分のパーソナリティのなかから、どこを伝えたら喜んでもらえるかを考え、表現していくことが大切です。お店を始める時も、長く続ける時も、閉める時も、みんなの愛が必要なので。

― 閉める、というキーワードが出てきたので、ここでefishさんがお店を閉じられた理由についておうかがいしてもよいでしょうか。

西堀さん:実はカフェを始めて2年目ぐらいから建物のオーナーさんに「いつかは息子のためにこの建物を使いたい」ということを言われてはいたんです。それでも去年までは続けてていいよということでやってきました。ですが、ここ3年ぐらいのあいだに京都に大きな台風や地震が起こって。この建物が老朽化していることはわかっていたので、なにか天災が起こった時のためにいろいろと見直さないといけませんでした。そこでオーナーさんに、「しっかり手を入れるために向こう10年ほど貸してもらえるか、もしくは譲ってもらえるか」という話をしたところ、最初の経緯もありやはり難しいと。

西堀さん:数年間なら、だましだまし使うこともできました。でもそのあいだに大きな地震があって、なにかが起きたら僕は一生後悔するだろうと。それで、それ以上お願いするのは筋じゃない気がして、今まで場所を貸していただけたことに感謝して潔くお店を閉めようと、20周年を迎える日を最後に閉店しました。愛情を持ってこの場所にきてくれたお客さんに、どう愛情を返すかというなかでの、僕達なりの決断でした。

efish

― 宮野さんはどのような経緯でお店を閉められたのでしょうか。

宮野さん:僕らはあの空間を維持するにあたって今の税制は乗り越えられないなと、キッパリ諦めました。

Doji
Doji
閉店前のDoji

西堀さん:若い方の夢をこわすようですが、カフェって儲かるものじゃないですもんね(笑)。正直、好きなことをしてお客さんに楽しんでもらって、人が集まって街が活性化していき、みんなが幸せになる。そのお客さんの幸せを受けとることで私たちも幸せになるという。幸せというお金を、対価として受け取っているみたいなもので。

― たしかに、京都は地価があがっていて、新しいことをはじめる余白がなくなっていってるような気がします。今の京都という街をどのように見ていますか?

西堀さん:元々京都という街が好きだったのは、東京のように大きな資本で出来上がったものじゃなく、京都に住む人たちが、自分の好きなお店を手作りでやっている場所だったからです。サンフランシスコのような空気に惹かれていたのですが、今は一時的に作りにくくなっていますね。悲しい気持ちはありますが、そのなかでもチャレンジされているお店はあります。そういうお店は愛を感じてやっぱりすごく良い。どんなに小さなお店でも、情熱、想像力、人に対する愛情を感じさせる場所は、永遠に発展していく。そういうところからまた名店が出てくると思います。

これから京都の街は、残したい部分と変わっていく部分が、良い形で融合し作られていくのではないかと感じています。変化は絶えずしていくべきで、だからefishが閉店したことも街にとっては良いことだと思っています。新しい時代のなかでまた、同じような思いでお店を作っていってもらいたい。思いを受け継ぎ、この街で育んでいってほしいです。

― それぞれのお店出身で独立された方もいらっしゃいますよね。

宮野さん:御所南の「Cafe Bibliotic Hello!(カフェ ビブリオティック ハロー!、以下「Hello!」) 」や、西宮にある「cafe ROOTS」は、うちで働いていた子たちのお店ですね。

西堀さん:「Hello! 」さんはお店に行くと、Dojiさんの経験からインスパイアされた部分が伝わってきますよね。すごく良いお店だなとおもいます。うちも、過去に働いていた人ですと、いろんな人がいますよ。東京で伝説的なゲイバーをやっている人もいます。最近ではお店を閉めたあとに独立した出町柳の「ha ra」さんなんかは、efishでの経験を持って、また雰囲気の違う自分たちの目指す店をやっています。efishの良い部分と自分たちの思いが混じり合っているのは良いなぁと思っています。受け継ぐというか、次の時代をまた作っているというのがうれしいですね。なんとなくうちで働いた経験から感じ取ったことが、人間性のなかに刻まれていて、表現する時の要素になっていてくれたらと。

― 良い店の記憶が、形を変えて街に根付いていくという感じがしますね。京都のカルチャーで注視しているものはありますか?

西堀さん:パン屋さんが頑張っているなと感じますね。老舗から、若い人のする新店まで入り混じっているあのムードがすばらしいなと。ほかにも美容室から服屋さんから、まだまだいっぱい刺激を受けています。

宮野さん:僕は最近のカフェだと烏丸御池の「here」さんとかは、インテリアも良くって、すごいなと思いますね。あとは「カフェ デ コラソン」さんもご夫婦のコンビネーションが良いですね。デザートがすばらしい。

― 宮野さん、西堀さんは、これから京都の街を作っていく若い人たちのなかで、どういう人を応援したいとおもわれますか?

宮野さん:人生に対して真摯に向き合っている人かな。それはね、顔に見えてくるの(笑)。だからやっぱり目を見たり顔を見たりして、自分が許せるなという人を応援したいです。

西堀さん:僕、中学生の時に母に言われてすごく記憶に残っているセリフがあって。「15歳まではあなたの顔は親がつくるけど、ここから先はあなたの顔はあなたがつくるものだから、意識しなさい」といわれたんですよ。宮野さんの今の言葉につながっている気がしました。僕が応援したい人と思う人も、自分の欲求だけではなくまわりのことをふくめて誠実に考えている人。街をつくる人ってそういう人だと思うんです。だからこそ人が集まってくる。

宮野さん:誠実さが心と顔に表れてくる。日々を気をつけて生活しないと良い大人にはなれないということですね(笑)。

企画編集:光川貴浩、河井冬穂(合同会社バンクトゥ)
企画協力(敬称略):平田由布子、岡山泰士(STUDIO MONAKA)
写真提供(敬称略):Doji:宮野堂治郎、efish:有本真紀、高山幸三