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写真家・森善之が撮る「風土の暮らし」が発見に満ちているらしい【ポテル常設写真展レポート 後編】

写真家・森善之が撮る「風土の暮らし」が発見に満ちているらしい【ポテル常設写真展レポート 後編】

「ポmagazine」編集部
「ポmagazine」編集部

噂の広まり

お祭り騒ぎ

ポテル常設写真展
『The Journey of Photography 写真から始まる旅』

これまでの旅について思い出してみる。
行き先はどこだっただろう。そして、その旅のきっかけは?

テレビで放送していた旅番組や、友人の地元話。
タイムラインで目にした、誰かの旅行記や応援している作品のロケ地情報。

「ここに行きたい」、もしくはもっと漠然と「旅に出たい」と思った瞬間に、私たちの旅は始まっている。

そんな旅の起点になるかもしれない展示が、ポmagazine編集部のある「梅小路ポテル京都」のオープンとともにスタートした。2階から5階までの各フロアのエレベーターホールで展開されるのは、『The Journey of Photography 写真から始まる旅』。

中島光行と森善之、京都に住む2人の写真家による展示作品は、ポテルからある一定の距離を移動した先で撮影されたものだ。2階はポテルから徒歩60分圏内。3階・4階・5階と展示フロアが上がるにつれ、撮影地点は列車で1時間の地点・2時間の地点・3時間の地点とポテルから遠ざかる。切り取られているのは、観光ガイドには載らない旅先の風景。副題にある「写真から始まる旅」の言葉通り、写真家の目に留まったその土地のさまざまな風土や文化が、次の旅へと私たちを誘う。

展示は2階のみ一般開放中。3〜5階については実際の展示を鑑賞できるのはポテル宿泊者のみとなっている。しかしこの記事はいわば『The Journey of Photography』の別会場。撮影場所を紹介しながら、撮影者の言葉とともに、それぞれの写真がもつストーリーを辿る。

〈展示情報〉
展示期間:常設展示
会場:梅小路ポテル京都 2階〜5階エレベーターホール
住所:〒600-8835 京都府京都市下京区観喜寺町15
電話:075-284-1100
観覧料:無料(3〜5階はホテル宿泊者のみ観覧可能)

目次

1. 風土の営みを見つめた先にある「暮らしの再発見」

2. ポテルから列車1時間圏内、滋賀県の旅【Story & Map】

3. ポテルから列車3時間圏内、紀伊半島南東部への旅【Story & Map】

風土の営みを見つめた先にある「暮らしの再発見」

『The Journey of Photography』の記事は2本立て。後編となる今回の記事ではポテル3階と5階に写真を展示する森善之さんを取り上げる。

森さんは2009年にフォトマガジン『JAPANGRAPH(ジャパングラフ)』を創刊。各号では47都道府県をひとつずつ特集し、各地方に息づく暮らしのありのままを丁寧に記録してきた。

「それぞれの地方には、土地に根ざした人々の営みがあります。一方、都市に住む僕らはお米を作ったり魚を釣ったり、そういうことをするかわりに食べものをお金で購(あがな)って生活している。地方での体験に心動かされると同時に、自分の生活との隔たりを感じ、風土と共にある暮らしの質実さに惹かれるようになりました」

ある場所を「観光」しようとするとき、私たちの目は、そこにある暮らしに対して鈍感になりがちだ。森さんの写真は、自然と結びつきながら連綿と育まれてきた暮らしが日本のあちこちにあることを教えてくれる。旅のかたちは、日常を忘れて羽を伸ばすだけに限らない。それぞれの土地で紡がれる、自分の知らない「普通の暮らし」。そのありように目を向けることは、自分自身の生活を見つめ直すことに繫がっている。

〈プロフィール〉
森善之(もり・よしゆき)
写真家。1960年に神戸市に生まれる。 2009年、日本各地の暮らしを再発見することを目指した冊子『JAPANGRAPH(ジャパングラフ)』を発刊。1年に1冊のペースで出版され、各号ごとに47都道府県のうちのひとつを掘り下げることを特徴とする。 個人の作品集として『うた』(WALL) 、『水のすみか』、『面影の伽耶』(七雲)など。

ポテルから列車1時間圏内、滋賀県の旅【Story & Map】

ポテル3階に展示されている写真は滋賀県の琵琶湖周辺の地域で撮影されたもの。森さんは約20年前から滋賀に足を運び、この土地の暮らしを撮り続けている。そのきっかけとなったのは、2000年に手がけた当時の新旭町(現在は高島市)50年史の撮影。依頼を受けてから1年ほど町に通い、その暮らしのあり方に興味を惹かれるようになった。

「琵琶湖沿いの暮らしには独特の奥深さがありますね。湖も人もすごく穏やかで、人間が土地の風土を映しているように感じます」

2009年に『JAPANGRAPH』の第1号を制作する際には、迷わず滋賀を最初の特集先に選んだ森さん。20年にわたって撮影された写真一枚一枚に、琵琶湖とともに継承されてきた暮らしの姿がありのままに写し出されている。

【展示写真紹介&Photo Map】

〈琵琶湖(高島市・長浜市)〉

3階のエレベーターホール中央に2枚並ぶ写真は、琵琶湖をそれぞれ西側と東側から撮影したもの。展示の中でもひときわ大きく、訪れた人の目を引きつける。


琵琶湖西、高島市の萩の浜付近から撮影。

琵琶湖東、長浜市の湖畔から撮影。友人の結婚式に出席するため、琵琶湖北部に浮かぶ「竹生島」に向かう際に撮ったもの。

滋賀に住む人は、琵琶湖を「うみ」と呼ぶ。

「主に年配の人ですが、『ちょっとうみ行ってくるわ』みたいな感じで。滋賀県って昔は淡い海と書いて『淡海(おうみ)』って呼ばれていたんです。水平線と空が淡く溶け合っていくような光景を見ると『ああ、これは確かに“淡い海”だなあ』と」

〈守山市〉

湖は場所や季節によってさまざまな姿を見せる。こちらは守山市のある橋の上から見下ろして撮影した写真。水草が浮かぶ湖面が、まるで鏡の様に空を映し出している。

〈今津港(高島市)〉

こちらは20年前、今津港から船に乗り、竹生島に向かう際に撮影した冬の琵琶湖の風景。

湖と家並みに雪が降る様子を森さんは今でも思い出せるという。

「シャッターをパチっと押した瞬間の指の感覚と、その時に見てたものっていうのはだいたい覚えてますね。最近はちょっとあやしくなってきましたけど……(笑)。事前に撮ろうと決めていた景色より、こういう『わっ、ええなあ』と思ってとっさに撮ったものの方がよく覚えているかもしれません」

〈堅田漁港(大津市)〉

琵琶湖を取り巻く地域では、湖とともに生きる暮らしが古くから育まれてきた。大津市の堅田(かたた)漁港の北側で撮影された写真に写っているのは、民家の軒ほどの高さにまで積まれた貝殻の山。

「琵琶湖でとれる貝をむき身にする加工所近くに貝の殻を捨てる場所があって、そこで撮影したもの。昔からずっと積み上げられてこうなっているようです。貝塚みたいでしょ。これはそのまま、営みの歴史ですよね」

〈マキノ町海津(高島市)〉

こちらの写真は高島市マキノ町海津で撮影。

「若いお兄ちゃんがテナガエビをとっていたので、それを撮影させてもらいました。琵琶湖の北側はとても水が澄んでいる。今津あたりの湖岸は岩場が多く、底にテナガエビがいるのが見えるんですよ」

〈旧新旭町(高島市)〉

滋賀県の中でも森さんが特に頻繁に足を運んでいるのが、琵琶湖の北西岸近く、かつての新旭町にあたる地域だ。

この町の暮らしの根底には水への敬意があると、森さんは感じている。

「例えば針江という地域では、湧き水と結びついた暮らしが古くから営まれてきました。集落に湧き水を引き込み、生活や農業に使ったあとは出来る限り綺麗な状態で自然に返す。人の生活のために湧き水や琵琶湖があるのではなく、水の循環の一部を人に貸してもらっているという意識が根付いているんです」

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そんな人々の原風景のひとつとなっているのが、葦(ヨシ)の群生地である「ヨシ原」。旧新旭町地域の湖岸にもヨシ原が見られ、多くの野鳥や魚が集まっている。

「この写真を撮ったのは初夏ぐらいだったかな? 地元の人によると、それぐらいの時期にフナなんかが産卵しに入ってくることもあるようです」


琵琶湖近くの空を飛ぶ水鳥。ヨシ原は水鳥の生息地でもある。

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琵琶湖で行われる漁にも長い歴史をもつ独特の文化がある。江戸時代から続く伝統漁法「魞(えり)漁」も、そのひとつ。杭を打ち込んで網を張り、網に沿って泳ぐ魚を行き止まりに誘導して捕まえる。

『JAPANGRAPH』の取材で訪れた際には、50年史の撮影で知り合った漁師の方の船に乗り、漁に同行した。

「写真の魞漁の網を仕掛けた人なんだけど、とにかく魚を捕ることだけを考えている。夜、布団に入ってからも明日はどこどこに行って、あそこに仕掛けたポイント見たらこんな魚がおるかなみたいな、そういう話ばっかりしていて。それだけ魚をとることが好きなんですよね」

この男性との思い出の中には、こんな出来事も。

「漁終わってから『おいで』って言われてついて行ったら『フナ食べさせたるわ』って。そのとき捕れた20センチぐらいのフナを、その場で鱗だけ取って骨ごとぶつ切りにしてくれました。醤油つけて生で食べましたよ」

森さんいわく、フナは「琵琶湖の味がした」そうだ。

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こちらも旧新旭町で撮影された写真。琵琶湖周辺のいくつかの地域には、写真のようにベンガラで家屋を塗る風習がある。ベンガラは土から取れる酸化鉄から作られ、木造家屋には防腐効果を期待して塗られることが多い。ベンガラの産地ではないこの地域で、なぜこのような風習があるのか、はっきりとはわからないが、かつては今以上に朱色の軒先が並んでいたそうだ。

「今は建て替えなどで減ってきているようですが、古い家がまだまだ残る地域もあります」と森さん。土地の文化は、守る人の存在があってこそ続いていくことを再確認する。

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その土地に住む人にとってはごく当たり前の光景が胸を打つことも少なくない。

「雪の朝、琵琶湖越しに見える集落に光が差しているのを見てすごくいいなあと思ったりね。地元の人にとってはそこまで珍しくない風景なんだろうけど、『うわあ綺麗やな』と思ってカメラを構えました」

その時に撮影された写真も3階エレベーターホールに展示中。この記事には掲載していないが、宿泊の際には探してみてほしい。

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地域の祭りにも暮らしのありようを見ることができる。


祭りの朝、走って神社に向かう子どもたち

「これは七川祭りっていう祭りの日に撮影した写真ですね。この祭りは神輿を担いで家々を周る時の風習が面白いんですよ。それぞれの家の前で『最近娘の〇〇ちゃんに男前の彼氏ができたみたいやなあ』みたいなことを大声で言う。今の感覚やとちょっと驚いてしまうんですけど、小学校から一緒に育ってきた人ばかりだからみんな楽しそうで、すごくいい雰囲気なんですよね。集落全体のガス抜きのような場になっているんだと思います」

〈下笠町(草津市)〉

『JAPANGRAPH』の取材では、湖東の南寄りに位置する草津市下笠町の祭りも取材した。下の写真はその際に撮影されたもの。この葦の囲いの中には、神様を降ろすための祭壇が置かれているという。

「これを氏子の家の庭先に作ってあるんですよ。上の方に少し見えてるけど、赤い人型が中に立ててあって、神主さんがここで神降ろしをするんです」

節分から5月の頭まで、3ヶ月にも渡って神事が続くこの祭り。祭壇に備えるためのお供えを何十種類も手作りするところからその準備は始まる。

「そのときに海苔はどこ産のこの品種でないとあかんねんとか、ハマグリは桑名のハマグリでないとあかんねんとか、全部決まっているんです。そういう決まりをずっと守り続けている」

それと同時期に始まるのが、12m〜13mにもなる藁の龍を作る仕事だ。これは「蛇(じゃ)」と呼ばれ、完成したものは村の神社の鳥居に巻きつけられる。神事が全て終了したら、「蛇」を降ろして神社の裏庭に放つのが決まりだ。写真は放たれた後のもの。ゴールデンウィークに訪れると、地域のあちこちに「蛇」の姿を見ることができる。


放った後はそのまま朽ちるのを待つ。

「この取材で色々と調べて知ったことなんですが、長浜や彦根などの湖東の地域には『オコナイ』っていう祭事があるんですよ。やり方はそれぞれ微妙に違っているんやけど、旧暦の年初めに新しい年神様を迎えて、その年の豊作や村落の安全を祈念する。観光の人が来るような行事ではまったくなくて、集落の中でずっと受け継がれてきた祭りなんですね。草津なんてイオンみたいな商業施設だってたくさんあるような地域でしょう。それでもこういう土着的なことが、集落の中では残ってるんです。そこに滋賀の奥深さを感じますね」

〈北小松(大津市)〉

旅先へと走る列車の車窓から見える暮らしにも森さんはカメラを向ける。こちらはJR湖西線の車窓から見える北小松駅近くの風景。

「湖西線もそうですが、古い時代に開通した路線が好きですね。人が生活している中を走っていて、それこそ洗濯物が手を伸ばしたら取れるんちゃうか?っていうぐらい。美しい風景もありつつ、その土地の生活ぶりも垣間見れるっていうのがいいですよね」

Photo Map【滋賀県】

ポテルから列車3時間圏内、紀伊半島南東部への旅【Story & Map】

5階に飾られているのは、ポテルから列車に乗って3時間圏内、三重や和歌山などを中心に紀伊半島南東部で撮られた写真だ。森さんが最初に撮影に訪れたのは1995年のこと。それから2010年までに撮影した写真がポテルには展示されている。

「自然と共生し、狩猟採集をしながら暮らしている人を撮りたいなと思っていたんです。青森や秋田のマタギとか、伊勢の海女さんとか。当時の僕は8×10インチっていう途方もないサイズのフィルムカメラを使っていて、そういう機材と寝泊まり用のテントを車に積んで出かけて行きました」

一度、車を出したら1週間から10日は帰らないのが当たり前。ひたすらに車を走らせた当時を「どこをどう走ったかわからへんくらいグルグルしてました」と振り返る。森さんの原点ともいえる日々の中で撮影された紀伊半島の暮らし。モノクロ写真に写る人々や風景は、25年経った現在でも克明にその息遣いを伝えている。

【展示写真紹介&Photo Map】

〈旧浜島町(三重県志摩市)〉

全国にいる海女の約半分がこの土地にいるといわれる、三重県の伊勢志摩。森さんが最初に撮影に訪れたのは20年以上前のことだ。

当時30代前半だった森さんを、海女さんたちは温かく受け入れてくれていたという。

「撮った写真を次に行った時に手渡したりもしていましたね。嬉しいことに皆さん喜んでくれてね」

取材先や旅先で出会った人に再開した際に写真を渡すと皆、照れながらも笑顔を見せる。「タダでもらうのは悪いから」と、お金を渡そうとする人までいるそうだ。森さんの写真は、都市に生きる人だけではなく、暮らしを営む人自身にも、改めて「普通の暮らし」の豊かさを発見させてくれるのだろう。

〈旧南島町(三重県度会郡南伊勢町)〉

海に潜った後、海女さんたちは海沿いに並ぶ海女小屋で暖をとる。

「焚き火を囲んで昼ご飯を食べたり、獲ってきたもの見ながら『これあわびやけどちっちゃいなあ』って話をしたり。シャツやタオルなんかも皆さんここで乾かしてました」

カレンダーに鍋に新聞。あれこれと置かれた物ひとつひとつから、一息つく海女さんたちの空気感が伝わってくるようだ。

***

旧浜島町では、ちょっと面白い出会いもあった。

「この人はこの格好で国道をペタペタ歩いてたの。車停めて『何背負ってるんですか?』って聞いたら、備長炭の原料になるウバメガシっていう樫の木だって。和歌山とか三重南部とかに生える木で、それを採ってきた帰りだって言ってました。東京とか大阪ではなかなか見られない光景ですよね」

〈丸山千枚田(三重県熊野市)〉

こちらに写るのは、日本最大級の棚田といわれる「丸山千枚田」。斜面に重なる田は千数百枚の規模を誇る。

「夕方に眺めていたらたまたま農作業してるおっちゃんがいて。今でも機械は使わずほとんどが手作業のようです」

丸山千枚田は、慶長6年にはすでに二千枚規模で広がっていたといわれる。平成初期に一度は大きく数を減らしたものの、熊野市に住む人々によって復元が行われ現在の規模にまで回復した。歴史を途絶えさせないためのその活動は、今もなお続いている。

〈花の窟神社(三重県熊野市)〉

「熊野」の地名が登場する最古の書物は、720年に完成された『日本書紀』だといわれている。その記述において「国産みの舞台」として書かれているのが「花の窟(いわや)神社」。日本で最初の神社ともいわれ、海岸沿いに鎮座する巨岩そのものを御神体としている。

ここを訪れたとき、侵食によって岩のあちこちに空いた穴に、神社すぐ近くの海岸の石が入れられていることに興味を引かれたという森さん。

「この石は参拝に来た人が入れているものなんですよね。賽の河原もそうですが、昔から石を積むという行いは信仰と結びついている。日本人のプリミティブな感覚を感じる光景だなと思ってシャッターを切りました」

〈玉置龍神水(奈良県)〉

古くは平安時代から、多くの人が祈りを抱いて詣でた熊野三山。その熊野三山の奥の院と呼ばれる玉置(たまき)神社が鎮座する玉置山は、森さんが熊野に来た際によく立ち寄る場所のひとつだ。写真に写っているのは、和歌山県新宮市の玉置口から玉置神社へと向かう途中にある「玉置龍神水」。正式には湯谷大龍神といい、玉置山からの湧き水が祀られている。

玉置口からここまでは比較的歩きやすいが、その先には険しい道が続く。

「玉置神社には南から向かうかたちになるわけです。ものすごく険しい道で、なかなか辿り着けない。でも何年か前に北からも行けることを初めて知って、そちらはバイクでも行けるくらい良い道でした。なんで今まで南から行っとたんやろうと(笑)。玉置神社に参拝するのが目的であれば、北から行くのが安心みたいです」

〈旧熊野川町(和歌山県新宮市)〉

旧浜島町や旧南島町で営まれるのが海の暮らしであるならば、旧熊野川町(2005年に新宮市と合併)にあたる地域には山の暮らしがある。


先祖代々受け継がれてきたという棚田を手入れする夫婦。仲の良さそうな様子が印象的だったという。

興味深いことに、森さんによるとこのあたりの暮らしは沖縄的な空気を色濃く纏っているという。

「石垣で囲まれた平屋や言葉のイントネーションなどに沖縄と近いものを感じますね。沖縄と紀伊半島というのは黒潮で繋がっていますから、それが関係しているのかもしれません」

同じ地名や似通った風習など、各地で意外な土地どうしの繋がりを感じたことがあると森さんは話す。日本各地に足を運び、人と風土を丁寧に見つめてきたからこその感覚。今ある暮らしを掘り下げた先に見える、人と人、人と土地との繋がりに思いを馳せながら眺めたい写真だ。

Photo Map【紀伊半島】

※『The Journey of Photography』に出展しているもう1人の写真家、中島光行さんの記事はこちらから


企画:松倉早星、村山早咲(株式会社ぬえ)
編集:光川貴浩、河井冬穂(合同会社バンクトゥ)
写真:森善之