2021.9.10
【前編】今のチームラボがあるのは、猪子さんが20代の頃に京都に通っていたから、らしい。
噂の広まり
「20代の時は毎週末、京都に来ていた」と語るのは、今世界中からオファーが殺到するアート集団「チームラボ」代表の猪子寿之さん。世界遺産・東寺(教王護国寺)を舞台に開催した「チームラボ 東寺 光の祭 – TOKIOインカラミ」の会期直前、現場を現れた猪子さんにインタビューを行った。前編ではチームラボの作品の深層にある京都との意外な関係、そして記事の後編ではチームラボが京都駅の東南部エリアにアートミュージアムを構えるという“あの噂”についても聞いてみた。
今回のチームラボの作品は、「Digitized City」と呼ばれるアートプロジェクト。デジタルテクノロジーによって建造物や場を物理的には一切変えることなく、その場の見方を変え、アート空間を創出する。作品の舞台となった東寺は、空海によって真言密教の根本道場となった真言宗の総本山。日本一の高さを誇る木造塔である国宝の五重塔をはじめ、現代に唯一残る平安京の遺構といわれている。
ドラゴンボールやかめはめ波の方がリアリティがある。
ー 本日はよろしくお願いします。
猪子さん:「ポmagazine」って、ホテルのメディアなの?
ー はい、東寺から歩いて15分ぐらいの「梅小路ポテル」っていうホテルが運営する観光メディアです。
猪子さん:“ポ”が好きなの?
ー “ポ”が好きなんです(笑)。
猪子さん:へえ、泊まってみたいな、メモっとくね。
ー 早速なんですが、今回の作品は東寺が舞台です。場所と作品の関係をどう捉えていますか?
猪子さん:人は、自分の人生で、自分の生きた時間より長い時間に接続できないと思うんです。もうちょっと言うと、時間っていうのは連続しているんだけども、自分が生きた時間より長い時間を認識できない、認知できない。昨日が今日と、一昨日が今日と連続してるのはわかる。10年前も今日と連続していることを知っている。でも、平安時代とか江戸時代となった瞬間、突然、それはドラゴンボールの世界と変わらない。
ー 着物やちょんまげの世界には、ドラゴンボール並の異世界感がありますね。
猪子さん:そう、連続してるのに異世界。かめはめ波と切腹も、現代人からすると、そんなに変わんないでしょ?
ー フィクションに感じますね。
猪子さん:もはや、かめはめ波の方がリアリティあるんじゃないかな。切腹って、ついこないだの話なのにね。
ー おじいちゃんのおじいちゃんくらいは切腹してた時代ですよね。
猪子さん:そうなんだよ。当たり前だけど、その長い時間の上に我々が存在している。街というものも、長い時間の上に存在しているよね。例えば東京みたいな街でもさ、非常に長い時間の上に存在している。でも、まるで今日と昨日、昨日と今日しかないと思ってしまう。
「東京ってなんでも壊しちゃうから、長い時間を認識できないでしょ?」
ー 京都は違うと?
猪子さん:京都みたいに長い時間をもつもの、もつ場所。これは神秘的な話ではなくて現実的な話として、長い時間がつくる形やテクスチャーがあり、そういうものだけが自分が生きてる時間よりも長い時間の存在を認知させてくれる。京都って街全体がそういう場所で、自分が生きた時間以上の時間への境界を超えられるんじゃないかと。そう思わせてくれる場所なんです。
ー なかでも東寺は別格です。平安京唯一の遺構といわれています。
猪子さん:実際の建物は違うんだけど、まあ配置図というか配置というか、遺構。つまり、平安時代の姿形がまだ残ってるわけだよ、当時がね。1200年以上前の姿形をもっている。そういう場所ってアジアという規模で見ても非常に稀有ですよ。長い時間でしかつくれない場所。どれだけお金があってもつくれない。ビルは建てれても、時間はつくれない。だから一番の贅沢だし、それは、人にとってやっぱり意味がある。大げさな話じゃなく、人は多分、長い時間に接続したいのだと思う。
ー なぜ、長い時間に接続したいのだと思いますか?
猪子さん:自分の知らない世界の存在を知りたいんだと思う。普段、普通に生きていると感じることができないようなものを感じたいんだよ。さっきも言ったように、認識としては平安時代も江戸時代もフィクション。つまり、存在しないもの、自分の知らない世界になってしまう。フィクションを通じて、我々は知らない世界に接続しようとしているんだと思う。
ー そうした場所で作品を展示する意味はなんでしょうか?
猪子さん:我々の作品だけでは長い時間に接続できないけれども、長い時間をもつ建物や建造物、その場所を借りた作品をつくることによって人は長い時間に接続できると思ってる。作品は、そういう存在に気がつくためのきっかけのようなものですよ。
日本美術の論理構造に、京都に来て気がついた。
ー 作品の中に、彼岸花や滝など日本画や枯山水庭園で描かれるような日本的なモチーフが現れます。意図的なものでしょうか?
猪子さん:花も滝もね、全人類にとってシンボリックなものですよ。日本のものにしないで。人類のものだよ(笑)。
ー ちょっと誤解してるところがあったかもです。
猪子さん:いや、ある意味では誤解していないと思います。なぜかっていうと、あなたは東寺を舞台にした作品を観て、日本の古典美術のように感じたからだと思う。
ー どういうことでしょうか?
猪子さん:その話をするなら、チームラボの設立前の話に遡るんだけど。
ー ぜひ聞かせてください。
猪子さん:僕は徳島県出身で、高校の時に地元の山や森の景色に感動して、それを写真に撮ってたの。けど、出来上がった写真は、なぜか自分の感動した景色と違う。なぜなら、山の中で山と、森の中で森と、自分はその風景と一体化して感動していたから。つまり、写真になった瞬間、その写真の中に自分がいないわけです。
ー 猪子さん自身の体験は、写真のなかに収まりきらなかったと?
猪子さん:その理由がなぜなのかっていうのにすごく興味があった。それで、チームラボを設立した2001年ぐらいからレンズとは違った空間認識の仕方を研究してたんです。その研究のヒントになったのが、実は京都で。それこそ20代の時は毎週末、京都に来て、いろんなお寺や神社を訪ねて古典美術やお庭を観ていました。
「人間は写真のように空間認識をしていないと気づいた。そのヒントが京都にあった」
ー かなりヘビーな京都ツウだったんですね。京都の何がヒントになったのでしょうか?
猪子さん:京都のお寺や神社で観た古典的な日本絵画や日本美術は、境界が生まれにくい空間認識になっているのではないかと思ったんですよ。レンズで空間を撮影すると必ず境界が生まれます。例えばレンズで撮った映像をテレビで映すと、モニターという画面が境界となって、映した世界はその境界の向こう側に出現するわけです。
ー レンズという存在が、空間を分断してしまうわけですね。
猪子さん:それに比べて、日本美術は境界が生まれにくいし、ゆえに鑑賞者の視点が固定されないという論理的な特徴があるわけです。例えば、映画館で歩いている人がいますか? アウトですよね。ちょっとアウトな人いますよ、みたいな。なぜならレンズというものが人の視点を固定させるからですよ。鑑賞者の視点を固定させる必要があるから、椅子が必要になるんです。
ー 確かに、日本美術を鑑賞する際に椅子に座った経験はありませんね。
猪子さん:日本美術では視点が固定されないから、絵巻みたいに視点を移動しながら一枚の絵を観れるし、お寺の中を歩き回りながら襖絵を観れるわけです。だから、日本美術っていうのは結果的には空間美術であり、しかも歩きながら体験できる空間美術である。京都に来て、そういうことに気がついたんですね。
ー なるほど! まさに、鑑賞者自身が風景と一体化した感動を味わえると。
猪子さん:日本美術には共通の論理構造があり、それをヒントにしたのが、今も我々の映像作品の基本になっている“超主観空間”っていう空間認識です。我々の作品もまた視点を固定しない。話を戻すと、その空間認識において立体の花や滝をつくるので、あなたは我々の作品を観て日本の古典美術のようだと感じたのだと思います。
ー モチーフとしての“日本的なもの”ではなく、空間認識として“日本的なもの”を感じていたのかもしれません。
猪子さん:東寺の大きな境内を歩きながら鑑賞したわけですよね。最近、プロジェクションマッピングが流行ってますが、みんな止まって観てるでしょ? 表面的に日本美術風にしている作品もありますが、本質的な空間認識の論理構造が日本美術じゃないんですよね。
ー めちゃくちゃ面白い話です。
猪子さん自身が足繁く通い、実はチームラボの作品づくりに大きなヒントを与えていたという京都の古典美術。その京都に拠点をもってチームラボは何を仕掛けるのか。京都駅の東南部エリアにアートミュージアムを構えるという“噂”については、インタビューの後編で。
【ポmagazine読者限定】東寺を眺められるポテルのお部屋へはこちらから
企画編集(敬称略):光川貴浩、河井冬穂、早志祐美(合同会社バンクトゥ)
撮影(敬称略):石本正人
写真提供:チームラボ