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100年前の日記からパンデミックを読み解く。徳正寺・井上迅さんの本棚には、今を生きるヒントが詰まっているらしい

堀部さんプロフィール写真
堀部篤史
書店主

噂の広まり

井戸端会議

「京都の本棚」は、京都の名物書店主として知られ、梅小路ポテル京都「あわいの間」の選書も手がける「誠光社」の店主・堀部篤史さんによる連載企画です。
堀部さんが京都を拠点に活動するさまざまな方の本棚を訪問し、思考の幅を広げる本の話や、京都の街との付き合い方について対談を行います。

 

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本屋の店主が他人の本棚の奥深くにもぐり込み、その蔵書について根掘り葉掘り訊くというこの連載。

一見、ライトな雑談のようでいて、話の要には「いつ」「どこで」という縦横の軸があり、それは京都の歴史や街と密接につながっている。過去の出会いには歴史が、購入した場所からは街の姿が背景に見え隠れするのだ。

今回は、書籍が持つ時間という軸を起点に、歴史が重層的に重なり合い、時間が伸び縮みするような奥行きを持った不思議な空間に足を踏み入れてきました。受け継がれた資料を解釈し、今に生かす。古書というものが持つ新しさをあらためて思い知った時間。

そんな本棚を見せていただいたのは、四条富小路下るにある真宗大谷派 徳正寺の住職であり、扉野良人(とびらのらびと)という名で文筆や出版も手がける、井上 迅さん。お住まいでもある徳正寺の蔵の中に法宝物とともに収められた本棚を拝見してきました。

 井上さん
井上 迅(いのうえ・じん)
徳正寺 18代目住職。文筆家。
ご実家である徳正寺の住職を務めながら、扉野良人として編集や文筆活動を行う。プライベートプレス「りいぶる・とふん」を主宰。著書に『ボマルツォのどんぐり』など。
『思想の科学』、『sumus』、『四月と十月』などのリトルマガジンや、高校時代に路上観察学会 編『京都おもしろウォッチング』の末席に参加。

 

本棚全景_1
本棚全景_2
ご自宅でもあるお寺の蔵に収められた、膨大な量の本

ー 茶色いですねえ。

井上さん:ねえ(笑)。

ー やっぱり古書がほとんどですか?

井上さん:そうですね。とはいえ自分で集めた古書だけではなく、明治末生まれの祖父の蔵書、つまり当時の新刊が時代を経て古くなったものも混ざっています。自分が古い本に惹かれるきっかけになった、この『モデルノロヂオ』もそう。祖父は若いときから新劇、アマチュア劇団を率いて演出なんかをしていて、大正の終わりごろに築地小劇場に行ったこともあるみたいなんです。だから、舞台装置家だった吉田謙吉のこの本を演劇の参考資料として買ったんじゃないでしょうか。

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今和次郎・吉田謙吉による共著書『モデルノロヂオ 考現学』

ー 今和次郎との共著ですね。

井上さん:僕が〝モデルノロヂオ〟つまり〝考現学〟というものを意識しはじめたのは、赤瀬川原平さんのトマソン、路上観察がきっかけでした。赤瀬川さんら路上観察学会のメンバーが『芸術新潮』誌上で京都の路上をフィールドワークしたとき、両親が赤瀬川さんと親しかったこともあって、メンバーを率いてうちのお寺に来られたんですね。それで、その日撮ってきた写真を洋間に白いシーツを吊ってスライドで映写し、みんなでわいわいと合評会をしたんです。当時、僕はまだ中学生だったんですけど、「こんなにおもしろい世界があったのか」と。そのとき、路上観察のルーツが、戦前の今和次郎たちの〝考現学〟にあるという話が出て、「そういえば父の本棚にその本がある!」と母が洋間にあった本棚から『モデルノロヂオ』を取り出したのです。合評会をしていた洋間は、もともと祖父の部屋だったのですね。

芸術新潮
路上観察学会の京都でのフィールドワークが掲載された『芸術新潮』。のちに増補して『京都おもしろウォッチング』としてまとめられた

ー 古いものから知恵を見出す姿勢は、そのあたりがきっかけですかね。

井上さん:やっぱり赤瀬川原平さんからの影響は大きいですね。赤瀬川さんの本を読んでいると『滑稽新聞』とか、古い本がよく出てきますし。
幼いころから母の買い物ついでによく古本屋をのぞいて、赤塚不二夫の漫画を買ったりしていました。当時うちから歩いて回れる範囲に4、5軒は古本屋があったかな。僧侶の仕事をはじめてからも、毎月お檀家さんのお参りの合間に、コースを決めて古本屋をめぐるという習慣を長らく続けていて。最近は月参りが減っていったことで、以前ほど古本屋に足を運ぶ回数が減ってしまった。その代わりに、この蔵にある古文書なんかを整理する時間が増えたんです。徳正寺の歴史を記した由緒書や享保年間から明治にかけて、歴代住職の日々の法務を記した日誌なんてものが出てきて、一人では抱えきれないライフワークになってしまいました。

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蔵の奥に積み重なった法宝物の数々

ー ようするにここに一番古くからある本は、これら古文書類なんですね(笑)。井上さんご自身の蔵書としてはどうでしょう。

井上さん_2

井上さん:うーん、赤塚不二夫の漫画とかになるのかなぁ。でも自分で買ったものではないけれど、古書の世界に導かれたきっかけとしては、やっぱり『モデルノロヂオ』がルーツ的なものなのかもしれない。

ー では、これまで繰り返し手に取ってきた本は?

井上さん:多摩美術大学の芸術学科に通っていたときに習った先生が、平出 隆(ひらいでたかし)さんでした。平出先生は詩人なんだけど、そこで受けた授業は「詩をつくる」といった創作の授業ではなく、「本をつくる」というものでした。たとえば「辞典(事典)をつくる」という課題では、『風の辞典』という〝風〟にまつわる言葉を集めた辞典を編纂したり。ワープロで組版し、コピーして製本まで行いました。ほかにも、先生が河出書房新社の編集者だったこともあり、編集者時代に担当された川崎長太郎のことを教わりました。小田原の海岸にある漁師の網置き小屋に住んで私小説を書いた作家です。後年、平出先生が「生存のための書物」というタイトルで話をされて、本は生きるために存在するということが実感とともに納得できました。いや、人は死ぬけど本は生きていく、ということかな。平出 隆さんの著作は出るたび手にとっています。

平出さん著書
大きな影響を受けたという詩人・平出 隆さんの著書が並ぶ

ー 赤瀬川原平さんと平出 隆さん、2人のメンターがいて、それぞれが過去への志向を持っていたということですね。話は変わりますが、ここにいわゆる「円本」がそろっていますね。

井上さん:これは高校生のときに買ったものです。

ー 高校生のころとはいっても、すでに昭和の終わりごろですよね。

井上さん:千本丸太町にあった「妙文堂書店」というところで、江戸川乱歩や小栗虫太郎などの探偵小説の本を買っていたら、店主に「こんなんあるで」って話しかけられて。それで一括で購入したのが改造社の『世界大衆文学全集』。最初は全巻読むっていう意気込みだったんだけど、せいぜい読んだのは5冊くらいかな。

ー 当然文学全集は当時、ほかにも新しいものがたくさんあったわけですよね。そこをあえて、訳の古い『世界大衆文学全集』に……。

井上さん:おもしろいのが、『家なき子』の主人公はレミっていうんだけど、それが「民(たみ)」って訳されていて、お父さんの名前は「権蔵(ごんぞう)」。フライパンでパンケーキを焼くシーンは「焼鍋」で「銅鑼焼き(どらやき)」を焼く、になっている。
改造社版『世界大衆文学全集』は今からでも全巻読みたいですね。フリッツ・ラングが映画化した『メトロポリス』の原作と抱き合わせで、アニタ・ルースの『殿方は金髪がお好き』が掲載されていたりして。『殿方は…』は、生田耕作さんの子息、文夫さんがプライベートプレスである奢霸都館(さばとやかた)から『アール・デコ文学双書』の一冊として出版し直しています。
四条富小路の角にジュンク堂書店が出来たころ、山下 武さんという方が書かれた『古書の誘惑』とか『古書のざわめき』とか「古書の…」とつく本をずっと立ち読みしていたんだけど、山下さんは特に探偵小説本と翻訳本に詳しくて、どのようなめずらしい小説が翻訳されているとか、芋づる式に古本屋で探求する古書の知識を得たんです。そのなかで『世界大衆文学全集』のことにも触れられていて。それがきっかけで古本屋の均一台なんかでせっせと集めていたのだけど、そうしたらいきなり全巻そろった。コンプリートすると読まなくなってしまうんですよね。
のちにこの(山下武の)本は買い直しましたが、積読になっていますね。

ー 古本で?

井上さん:そう(笑)

山下武さん著書
ー なるほど。古いものから現在、さらには未来を考えるという意味では、徳正寺で井上さんが見つけ、コロナが流行りはじめた年に新聞にも掲載された、大伯母さんの日記の話(※)もおもしろいですね。
※参考

井上さん:このお寺の長女として明治39(1906)年に生まれた大伯母が、12歳から16歳までつけていた日記がうちの納骨堂の収納から出てきたんです。そこには当時の生き生きとした日常が綴られていて、最初に開いたときは、いつか抜粋してでも活字に起こしたらおもしろいだろうという程度に思っていたんだけど、しばらくそのままになっていて。

日記
日記_2
徳正寺で見つかった100年以上前の日記

ー 最初に見つけた際は、注目するポイントが違っていたんですね。

井上さん:その後、コロナ禍に見舞われたころ、歴史家の藤原辰史さんが岩波書店のウェブサイトに、「パンデミックを生きる指針」という文章を発表して話題を集めたんです。それをふまえてZoomでのトークを企画、出演してもらったことがあったのですが、そこで100年前に世界的に流行したスペイン風邪のことに触れられて、「当時人々がどのようにしてそれを乗り越えてきたのかをもう一度検証する必要がある」と。ところが市井の人たちが、スペイン風邪にどういう風に直面していたかというのは、資料も少なくてなかなか見えてこないと。それを聞いたときに大叔母の日記の存在を思い出して、引っ張り出して開いてみたら、ドンピシャで1918年、つまりコロナ禍から100年前のパンデミック期間の日記が含まれていた。
日記には、「最近嫌な風邪が流行っている」とか「新聞を開くと黒枠の広告が増えている」とかまさに当時のことが綴られている。ちょうどそのころ、神戸在住の詩人・季村敏夫さんの個人誌に原稿を依頼されていて、なかなか書けずにいたものだから、季村さんにこの日記を抄録したいとお願いし、スペイン風邪にまつわる部分を中心に掲載してもらったのです。するとものすごく反響があって、神戸新聞と京都新聞に大きく掲載されることになった。

ー なるほど、それを発見して再び光を当てられたというのも、古書に親しんできたキャリアがあったからこそなのかもしれませんね。

井上さん:この大伯母の日記をすべて活字に起こして一冊にまとめていて、夏の終わりまでには出せる予定です。編集にまる3年かかりました。ぜひ手にとって目を落としてほしいです。

ー はい、誠光社でも取り扱わせていただきますね。今日はありがとうございました。

徳正寺茶室
四条富小路にある徳正寺。通常非公開だが、寺の行事やイベントのときなどに開放も行う。庭園には、藤森照信氏設計の茶室「茶矩庵(くあん)」が

 

※出版予定の書籍についてはこちら。
(日記の詳細など過去に井上さんが手がけた記事はこちらから

『ためさるる日 井上正子日記1918-1922』
編著:井上 迅
発行:法蔵館
テキスト:磯田道史- 小林エリカ- 藤原辰史- 井上章子(インタビュー)
書容設計:扉野良人
発行予定:2023年8月末
書籍体裁:133×188 mm(四六判)約472ページ

 

企画編集:光川貴浩、河井冬穂、早志祐美(合同会社バンクトゥ)
写真(敬称略):川嶋 克

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