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噂な旅通信

京都市の“埋文研”と考古資料館は、驚くべき出土品をあの手この手で紹介しているらしい

竹内厚
竹内厚

噂の広まり

独り言

京都のプロや旅のプロに、街の噂や旅の好奇心をくすぐるお話を聞く連載「噂な旅通信」。

今回は、知る人ぞ知る京都市考古資料館の名物館長、山本雅和さんにお話を聞きました。

京都市考古資料館といえば、昨年開催された「考古資料とマンガで見る呪術-魔界都市京都-」展が話題を呼びましたが、大型ミュージアムが林立する京都において、その存在が広く知られているとは言いがたいところ。

そもそも「考古」というジャンルがシブすぎる!?編集部一同もそのように思っていましたが、実はそれ、まったくの先入観というやつで……。

考古にして、いや、むしろ考古だからこその意欲的な企画が続く京都市考古資料館を訪ねて、埋蔵文化財と発掘、考古の世界の知られざるジョーシキを教わるとともに、めちゃくちゃお話上手な山本館長にもぐぐっと迫りました。

Q1 展示できる資料の量がものすごい数あるとウワサに聞きました。

まずご理解いただきたいのは、京都市考古資料館は京都市内での発掘、調査、研究で積み重ねてきたものを展示公開するための施設だということ。これを京都市埋蔵文化財研究所が委託を受けて運営しています。

京都市がこれまで発掘した資料は、7つの収蔵施設に分けて保管しています。ケースにして約23万箱にのぼります。

意外に思われるかもしれませんけど、これまで発掘して出てきたものは全部捨てずに残してあるんですよ。京都市だけでなく、日本中の埋蔵文化財はそのようにしています。

京都市埋蔵文化財研究所倉庫
画像:(公財)京都市埋蔵文化財研究所提供

Q2 すべての出土品が捨てられず保管されているとは!どのような理由があるのでしょうか。

発掘した時点では正体がわからなくても、研究の進展や新たに見つかるものと比較検討することで、産地や用途が判明するかもしれない。また、もっといえば、発掘調査の技術も日々、進歩していくわけですから、今の調査技術でわからないことが、いつの日かわかる可能性がある。だから、遺跡はできるだけ掘らずに残しておいて将来に託すという姿勢は多くの文化財担当者の基本的な発想だと思います。たとえば奈良の平城宮では、左右対称の遺跡なので東半分だけを発掘して、西半分は発掘せずに保存するという方針がとられています。

法勝寺八角九重塔跡から出土した瓦など
京都市埋蔵文化財研究所には全国でも数名しかいないという、文化財専門のカメラマンが在籍。ここぞというときにはポジフィルムでも撮影するという。画像:(公財)京都市埋蔵文化財研究所提供

Q3 資料はどのようにアーカイブされるのでしょう。

近年はアーカイブのデジタル化も進んでいますので、発掘と同時にデジタルでの登録を行っています。しかしデジタル化以前に発掘されたものも莫大にあり、それを再整理してデジタル登録を進める作業を並行して進めているので、とても大変です。

また、デジタル化といっても実測図は、まだ手描きで作成することが多いです。手描きである理由は、実測図は観察した結果の表現、つまり単純な「図化」ではなく「解釈」だからです。写真には写らないような情報もあり、情報の質が違うんですね。

整理方法ですが、出土した遺構が紛れないように注意しながら基本的にはまず素材で分類します。土でつくられたもの、木でつくられたもの、金属でつくられたものといった具合です。次に用途などで分けるのですが、やっぱりわからないものもたくさんある。その場合は、「円盤型木製品 用途不明」といった表現になります。ここでも無理をしないで、将来に委ねるんですね。

 
200ページを越える、京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告書『長岡京跡・淀水垂大下津町遺跡』より。こうした報告書を年に何冊も発行。画像:(公財)京都市埋蔵文化財研究所HPより転載

Q4 数えきれない膨大な数の資料から、どうやって展示するものを決定するのでしょう。

まず、出土品はABCの3つのランクに分けています。実測図なども描いて報告書に掲載するAランク、報告書に載せたものと同じ場所から出土した、Aランクに準じるものがBランク、そして、バックデータとなるCランクです。報告書に掲載されたAランクがひとまず展示対象といえますが、有形文化財指定の資料をまとめた年度ごとの冊子だけでも相当な厚みがあります。私もさすがにすべてを把握できないので、展示ごとにいろんな冊子を繰って、展示品を抽出していくことになります。

考古資料館展示風景
京都市考古資料館の展示は、2Fの常設展示、1Fの特別展示、入口近くの速報展示にエリア分けされている。画像:京都市考古資料館提供

展示については、開館当初から常設展示は狭い面積の中でたくさん陳列しようという方針でやっています。加えて年2回ある特別展示では、ひとつは毎年、有形文化財に指定されたものをお披露目することが多いのですが、もう1回は工夫した企画を立てられるので、時事ネタを絡めたりしながら考えます。2022年の特別展示「考古資料とマンガで見る呪術-魔界都市京都-」展もその取り組みで生まれた企画でした。

鬼瓦
墨書人面土器
京都国際マンガミュージアムとの共同開催だった大人気企画展で展示された呪物たち。なかでも平安京の井戸から出土した「人形代」は、いまや全国から貸出依頼が相次ぐ「スター出土品」に。画像上:(公財)京都市埋蔵文化財研究所提供、画像下: 京都市指定有形文化財、京都市文化財保護課提供

特別展示のほかには、速報展・企画陳列のコーナーを設けていて、こちらは年に9~10回ほど企画を替えます。一昨年は国際ガラス年でしたから出土したガラス製品を並べたり、昨年は国際雑穀年なので、発掘で出てきた雑穀、ソバやらムギ、マメにトウモロコシなども並べました。今年は大河ドラマにちなんだ平安時代の遺物を陳列する予定です。

Q5 えっ、トウモロコシも日本の「出土品」にあるんですか。

南蛮貿易で日本にもたらされてから、栽培が続けられていたみたいですね。トウモロコシの出土品は全国でも京都市だけが持っています。

昨年には南座での顔見世興行に合わせて、歌舞伎の演目の「暫(しばらく)」の伏見人形を陳列しました。七代目市川團十郎が伏見の窯元に注文したとされる伏見人形の原型などの資料を窯元の御子孫から寄贈いただいたので一緒に展示しました。

伏見人形
天保の改革で江戸払いになり、上方で活躍していた七代目團十郎。彼がふたたび江戸に戻る際、土産として伏見の土人形屋「割松屋」に伏見人形を作らせたといわれる。画像:(公財)京都市埋蔵文化財研究所提供

Q6 考古学といえばもっと古い時代が対象だと思い込んでいましたが、南蛮貿易だとか江戸時代の伏見人形とかもあるんですね。そもそも考古学の「出土品」って、どの時代のものを指すのでしょう。

原理的には、「人類誕生以後、昨日まで」です。といっても、どこまでを研究対象とするのかはよく考えなければいけません。むやみに拾ってしまっては収蔵品が増えるばかりですから(笑)。

ですが、たとえば、金閣寺のゴミ捨て場から出たコカ・コーラの瓶を拾ってありますし、私自身、島津製作所での調査では戦前のレンガをせっせと拾いました。伏見の宝酒造工場跡地で発掘したときには、戦前の焼酎の醸造瓶が出たので、宝酒造のマークが付いた破片は拾って持ち帰りました。

近現代の発掘についていえば、たとえば、第二次世界大戦に関する遺跡や出土遺物の多くは、もともと軍事機密だったので文献資料などには記録が残っていないんです。ところが、発掘調査を進めることで、その実態がわかってくる。

これは名古屋の事例ですけど、見晴台遺跡という弥生時代の集落跡があって、その発掘調査で高射砲陣地や兵舎の跡が出てきたんです。結果的にその調査担当者は、この陣地の関係者にも聞き取り調査などをして、報告書がまとめられました。遺跡を検討した事例の先駆的な調査発表ですね。

京都市考古資料館外観
資料館の入る建物は1914年築の元・西陣織物館。この設計者・本野精吾をテーマにした特別展示を行ったことも。画像:京都市考古資料館提供

Q7 京都ならではの発掘あるあるというのもあれば知りたいです。

京都はまず関係する文献や資料がとても多いですね。ですから、源氏物語に書かれた遺構が見つかった、洛中洛外図屏風の景観に一致したといえば、それで記者発表ができるんです。けど、違ってたら違っていたで、あの文献との違いが見つかりましたといって、それもまたひとつの記事になる。これだけメディアの注目を集めやすいということは、他の自治体ではないことかなと思います。

そのぶん下調べをしっかりしなくてはいけないのですが、国文学や建築史など、さまざまな分野の先生が京都の遺跡に強い関心をお持ちなので、そうした先生方と連携しながら調査を進めていけるのも京都ならでは。大変ありがたいことやなと感じています。

そもそも埋蔵文化財というのは、発掘して出た遺物や遺跡が対象になりますけど、掘ってみなければ何が出てくるかはわからないですよね。ですから、「きっとここには何かあるだろう」という場所は埋蔵文化財包蔵地として保護対象になっていまして、工事などをする際には届け出や調査が必要になります。京都の場合、平安京や長岡京をはじめ、遺跡があった範囲すべてが対象です。

遺跡地図
色がついているのが埋蔵文化財エリア。京都はほとんどがその対象だ。ちなみにこの遺跡地図は考古資料館で販売中。ウェブページ(※)からは更新された最新版が確認できる

※京都市遺跡地図提供システム

Q8 「碁盤の目」はほぼすべて埋蔵文化財エリア!遺跡の上に街があるということなんですね。もっと発掘してみたいという場所もありますか。

掘れるものならすべて掘りたい、というのが本音ですが(笑)、実は、京都での大規模な発掘調査というのはほとんど行われていなくて、町家1軒分くらいの狭い範囲での調査も多いのです。広くて小学校ひとつ分とかですから、1000平米の調査とかになれば、今回は広いな~と感じるくらいで。

たとえば、本能寺の発掘調査は2007年に連続で3回、実施されました。「本能寺の変」は誰もが知るところですが、発掘調査の機会がなかったんです。私も2度目の調査を担当させていただきました。幸い建物の柱穴が3つ見つかるという成果はありましたが、厳密な建物の配置はまだまだ調査が進んでいません。テレビ局の方から「本能寺の復元CGをつくりたい」といったご相談を受けることもありますが、正確に分かっている範囲が少なく、もどかしい思いです。

そして今年の大河ドラマといえば源氏物語ですが、平安宮の内裏跡というのもまだそんなに調査がすすんでいません。なかなか難しいですね。

縄文時代の竪穴住居跡のレプリカ
狭い範囲での発掘調査が多いなか、考古資料館で実物大レプリカが常設展示されている縄文時代の竪穴住居跡は貴重な「完全体」での発掘資料。画像:京都市考古資料館提供

Q9 ところで、山本さんはどういう経緯で考古学の世界に入ってこられたのでしょう。

小学生の頃は天文学に興味を持っていたのですが、何万光年といったスケール感を知れば知るほど、だんだんと気が遠くなってきまして(笑)、中学生になると地質学に関心が移り、鴨川や東山の石をせっせと拾いに行くようになりました。高校では地学部に入ったのですが、たまさか、「君の母校の中学で京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査をやってるよ」と声をかけてくれた方がいて、高校2年のときに授業終わりに見に行ったんですね。それがとても興味深くて毎日のように通っていたら、調査担当の方が「いっぺん下りてみるか」って声かけてくれはって。そこで現場にいる方々といろいろ話をする機会ができて、考古学への興味が深まりました。

天文学、地質学、考古学とタイムスケールをだんだん縮めて、やっと落ち着いた感じ。考古学でしたら100年、1000年単位ですから。万年、億年というのは私には無理でした(笑)。

大学、大学院では考古学を学びながら調査現場にも通い、ちょうど院を卒業する時に京都市埋蔵文化財研究所の採用試験があったので、それを受けて合格。以来、22年間、埋文研で発掘調査をしてきて、2011年にこの考古資料館の副館長になりました。ただ、それでも現場に戻りたいと言い続けていたら、3年だけ戻してもらって、2020年にまた館長として考古資料館に戻ってきたという経緯になります。

山本雅和さん
館長就任時の山本さん。画像:京都市考古資料館提供

私が副館長として入った2011年から、先ほどお話ししたような特別展示や企画陳列といった展示の数をだんだん増やしていったのと、他のいろんな施設との連携事業もどんどんやるようにしまして、解説ボランティアさんを育成したり、展示の多言語化も進めたりと、館内の体験も充実させていきました。もちろん、多くの職員さんのご協力あってのことです。

Q10 考古学のミュージアムってあまり代わり映えのしない展示なのかと思いこんでいましたが、とてもアクティブにいろんな企画を実現されてるんですね。

展示しているのは「作品」ではなく、あくまで「出土品」。価値が定まったもの、目あかがついたものではないので、企画次第で、より能動的に接していただける展示をまだまだ考えられるのかなと思っています。

特に2011年からほぼ毎年行っている、さまざまな大学との合同企画展は、私自身、毎回新鮮な気持ちで取り組んでいますね。学生さんならではの発想で一緒にたくさんの企画をしてきました。たとえば、一昨末に開催した京都市立芸術大学との合同企画展「桃山デザイン」はその最たる例になったんじゃないかと思っています。

発掘調査で出てきた桃山陶器を学生たちが素直な目で見て、自由に銘をつけたり、そこからインスピレーションを受けて作品を制作したり。桃山陶器の「二次創作」として、スニーカーのデザインや動画、ラップ曲まで生まれて、とても楽しい企画になりました。

「桃山デザイン」展示図録
「桃山デザイン」は企画のユニークさから、展示施設を変え、展示内容を充実させながら、第2回、第3回と複数回にわたって開催されているそう(京都市考古資料館×京都市立芸術大学 合同企画展「桃山デザイン」展示図録より)

それもこれも、10年以上にわたっていろんな大学や施設との連携を進めてきたからこその結果で、みなさんにたくさんのご協力をいただいてるおかげかなと思います。今年度の博物館法改正で、連携事業の推進が明文化されましたけど、「うちはよっぽど前からやってるで!」と言いたいですね(笑)。

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